Nostalgic thing

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事故ったカウンタック、、chapter 1

今まで人にした事のない話。
ありふれてる上、オチもないつまらない話だから。

せつない話、です。



シーナカリン



たしか80年代の始め頃の事。
ある国のBARで飲んでた。
そのバーは歓楽街の路地にある通りに面したオープンバーだ。

娼婦、酔客、ポン引き、乞食、大人、子供の各種物売り
街で働く人々、物見遊山の場違いな観光客、
雑多な人々がおのおのの理由で行き交っていた。


深夜、店のシャッターも降ろし始め、人も疎らになってきた頃、、


カウンターに置いたマルボーロに女の手が伸びて来た。
スラッとした細い指に、良く手入れがされた長い爪に赤いマニュキア。


娼婦が煙草をねだるのはここではありふれた事。
それを嫌がる客たちは煙草をポケットにしまい込んでいる。
僕ははそれをしなかった。
ひどいと箱ごと持ってかれたりした事もあったけど、
ねだられるのがイヤでしまい込むのも、何だか粋じゃない気がした。
そんなだからいいカモになっていた。


振り返って顔を見る。
ちょっとビックリした。
知った顔だったからだ。
知り合いでもないし、ましてや言葉を交わした事もない。

何故なら、彼女はこの街では指折り派手で目立っていたから。
ストリートを闊歩する姿や、「 らしい、」 科を作った立ち姿は
( 科を作る=なまめかしいしぐさをする )
映画のワンシーンの娼婦みたいだった。

連れだって歩くガタイのいい白人男の意気揚々とした顔ったらなかった。


彼女の分かりやすい突き抜けた感は、
娼婦だらけのこの街でもひと際目立っていた。







だから顔を見た瞬間、頭の中で 「 あっ!カウンタック 」 って思った。
頭に浮かんだのは他のどんな車種でもなく、「 カウンタック 」

それと同時にとても以外にも思った。
白人専門の彼女が、煙草をねだるにしても、
冴えない若い東洋人の僕に声を掛けるなんて
思ってもみなかったから。
でも目的は煙草だろうから、そのまま立ち去ると思った。


「 煙草もらうわ 」
と言って、手に取ったマルボロをくわえた彼女に
気圧された僕は、慌てて火を点けた。

すると以外な事に隣に腰をおろした。

あんた名前は? と聞かれ、彼女も名乗った。
仮にアデューとしよう。

大きな目に大きな黒目で僕の顔をしげしげ見つめる、アデュー。
強めにカールのかかった漆黒のロングヘアー。
褐色の肌に真っ赤なドレスを纏い、
ピンヒールを履いた彼女は
僕よりも遥かに背が高かった。

近くで見る彼女はやっぱりカウンタックだった。
スキなしだ。

流石、売れっ子なだけに立ち居振る舞いも洗練されていた。
無論上品というわけではないけど、
その圧倒的な派手さと隙の無さがネガティブな要素を
凌駕していると言えばいいのか。

半分も吸わずにマルボロは消され、
「 ありがと、また、、 」
と言って、唇の端だけに僅かな笑みを見せ、
通りに消えた。
ゴージャスな後ろ姿もやっぱりカウンタックだ、、なんて思いながら、
アデューを見送った。








今日は面白い晩だったなぁ、、、
帰り道、つらつらと考えた。

たまたま煙草が吸いたかったアデューの通り道、
カウンターに置いてあるマルボロが目に留まり、
そのマルボロがたまたま自分のであって、、、

でも、アデューは煙草だけ持ち去っていくような娼婦ではなく
煙草を貰った恩義?というか、お返しのお愛想をくれたたんだと理解した。

それがアデューと出会った、初めての日の出来事だ。


chapter 2は近日公開


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スイミングプール

ルアンプラバン pool 480



これは昔行った、ラオスの山の中の盆地、、
その寺町にある小高い丘の上に建つホテルのプール。


どこだったかは、どんなとこだったかは忘れてしまったのに、
銀色と青に輝く水の感触だけが残る、、

そんなイメージで、引っ張り出してきた写真を加工してみた。
でもこの時は、肌寒くてプールには入らず、
雨に煙るプールをラウンジから眺めていた。
フランス人のお年寄りの団体が賑やかだったのを憶えてる。





以下は HAPPYLIGHT BLOG に以前書いた記事の転載です。
「 スイミングプール 」 の思い出を綴ったもの、、







加美尾花のバンコクベース。
ここから近隣の国や欧州に出撃するのだ。
まあ、たまには島に沈没しに・・・

ここはもう10年近く確保しているが、最初に探す物件の条件として、
プールがある事、綺麗なプールである事、プールサイドに緑が豊富な事、
プールが部屋から見える事、プールがプールが etc、、、だ。
それ以外は特になし。

予算と相談しながら、ほぼ一か月を要して探しあてたのが、ここ。
日にちも経ち、希望の物件は見つからないのでは、、、と
あきらめかけた頃、たまたま泊っていたホテルの眼下にここを見つけた。

大通りからず~っと奥に入った袋小路の最奥。
運河わきに建つ asian 60`s 建築のコンドミニアム。
ここは建築物としても非常に興味深いのだが、その話はまたの機会に。

しろくまは大のプール好きなのだ。
だからといってほとんど泳がないし、日焼けもキライ。
プールがそこにあり、かつ見えるという事が何よりも大事。

子供の頃近所にプールのある家があった。
生け垣から盗み見したその家の子供たちが遊ぶ姿。その憧れか?
それとも好きだったサンダーバード基地にあるプールが割れ、
そこから1号が「ゴオオ~」と発射される。その格好良いイメージか?
でも、何故これほどにプールへ熱い思いを抱かせるかといえば、
たぶん、、、若い頃に過ごしたリゾートでの記憶なのだろう。







あるときリゾートに長逗留した事があった。
朝食を済ますとやる事がないのでプールサイドへ。
3日、4日と過ごすうち、プールサイドにいる面子がおおむね同じ事に気づく。
そのうち国籍も年齢も性別も違う彼らもこちらに気づき
「Hi!」だの「Hola!」だの、声を掛けてくれるようになった。
何せ暇人のあつまりなのだから、おしゃべりするくらいで何する訳でない。
ただそこにいるだけ。

毎日顔を会わせてきた者同士、他所へ移動する奴、帰国する奴がいれば、
ささやかなパーティが始まる。
それは 「おれに一杯おごらせろ」 程度の極々さりげないものだが、、、
そして緩やかに面子が代わっていく。
これが一期一会の  「プールサイド ソサエティ」

「みんな~ 日本の若いのが明日帰るんだとよー」
しろくまが帰る時もささやかなパーティが催された。

その時味わったあまりに平和で穏やかな空気の記憶が、
しろくまをプールジャンキーにしたのだろう。



写真の大きな木はマンゴーの木。
季節になると大家さんからおすそわけを頂けるのだ。

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熱海 on my mind

bonnet4[1]


ATAMI! アタミ! 熱 海!
何とも郷愁を誘う響きだ。

それぞれの家族に旅行の想い出というのがあるのだろう。
まあ昔のことなら、家族旅行なんかした事ない、、
なんて人もいるだろう。
勤め人の家庭であれば会社の保養所の思い出だったり、
祖父母の田舎が素敵な場所にあれば、
里帰りして野山を駆けたり、海で日焼けしたり、、
人それぞれなのだろう。

自分にとっては 「 熱海 」 でのこと。
一体ここには何度訪れた事だろう。
幼少時から数えれば、滞在した日数だけでも100?
いや200日は優に超えているだろう。

何故そんなに熱海なのかというと、、、
我が家は自分が生まれる以前から、
父が小さな商売をしている家だった。
商人の家は、何かと忙しく、まとまった休みは取れない。
なので時間が空いたとき、直ぐに行って帰ってこれる
近場の観光地の熱海は都合が良かったのだろう、、、
そう、そのように長い間理解していた、、、のだが。

ただその全てが熱海だったわけじゃなく、
お隣の伊東や箱根湯本だったり、
イレギュラーで水上温泉だったりしたけど、
まぁ、概ね熱海。


bonnet3[1]


大人になり母と昔話をしていた時、
何で熱海にあんなに行ったのかね?
と何気なく聞いた事があった。

母:伊東は隣でしょ。

自:??・・・・・ 湯本は?

母:小田原まで車で10分。

自:えっ! まさか、、じゃ、水上?

母:桐生も伊勢崎も前橋も、何でもあるでしょ。

あっ、そうかぁ~

水面を切り裂いてスプレーを散らし疾走するボートも
鍛え上げられた男たちが自転車を猛って鍔迫り合いをするのも、
魂を揺さぶる爆音を轟かせて矢の如く目前を飛んでいくバイクも、
そして溢れる動物愛護精神を持つ彼は、
たてがみをなびかせ駆ける、
美しくも力強いお馬さんが大好きだった。

そんな父の多趣味ぶりを、すっか~り、忘れてた!

(注釈:小田原競輪 伊東温泉競輪場 前橋競輪場 桐生競艇場 伊勢崎オートレース場)

だから父は母と自分を宿に放り込むと、そそくさ姿を消すか、
母と自分だけチェクインを済ませると夕食前に戻ってきた。
なので父の肩車に乗って、後楽園遊園地 ( かって熱海にあった ) で
遊ぶなどという事は決してなかった。

なので、年を取った今に至るまで、どっか行くか?
となると、反射的なんだか惰性なんだか、、
良くわからないが、
熱海でもいくかぁ、、となる。


bonnet2[1]


熱海に行くには大概は車で行ったのだが、
開業間もない新幹線で行くこともあった。
高度経済成長期の日本。
当時の熱海はまさに栄華を極めていた。
新婚旅行といえば熱海。
そんな時代だった。

熱海駅の改札から吐き出される観光客を目指し
旅館の屋号が入ったのぼり旗を立てた従業員が殺到して
熾烈な客引き合戦が繰り広げられる。
とにかく活気があった。

湯に浸かり、夕食を済ませると、
母に手を引かれ、夜の熱海の街に繰り出す。

浴衣に丹前、下駄を鳴らしてそぞろ歩きする
道にはいっぱいの泊り客。
どの顔も幸せそうだ。
色とりどりの貝細工が吊り下げられたお土産屋さん。
温泉饅頭を蒸かすおばちゃんの呼び込みの声。
射的場やスマートボール場から聞こえる家族たちの笑い声。

そんな中、何よりも自分にとって鮮烈なイメージを残したものは、

ホテルの豪華に煌めくネオン管の光だったり、
ストリップ劇場やスナックの妖しいサインの明かりだったり、
干物屋さんやお土産屋さんの軒先に吊るされた
電球の明かりだったり。
また柳の袂の薄暗い路地。
(注釈:昔の街路樹は柳が多く、路地に街燈は少なかった)
その奥にぼんやり灯る、
多分飲み屋さんの提灯とか看板の明かりなのだろう、
その仄かで儚げな明かりとか。

そんな光景が子供心にクラクラして眩暈がするほど美しく思えた。
まるで夢の中にいるみたいだった。

子供のころのそんな記憶のひとつだけど、
今自分がこの仕事についているのも
そんな記憶とは無縁ではない気がする。


bonnet1[1]


あれから随分時が経ったけど、
前述の様に相変わらず熱海に行く。


錦ヶ浦の突先にニューアカオというホテルがある。
このホテルは赤尾旅館という小さな旅館が前身だが、
熱海の名勝地である錦ヶ浦という岬を大規模開発して建てられた、
まあ、当時としては豪華絢爛な超近代的なリゾートホテルだ。
オープンは73年だから、43年経ったことになる。

ホテルニューアカオ

当時、凄いものが建ったなぁ~、との思いがあり、
一度泊まってみたいな、、と思っていた。
そんな念願が叶い79年に初めてそこに泊まった。

キャッチボールくらい、余裕で出来そうな広々としたロビーに入る。
遮るものが何一つない全面ガラスの向こうに
なだらかな山から広がる熱海の街と、
初島と大島を望む相模湾が一望出来た。
隅から隅まで敷き詰められたフカフカの絨毯、
点てられた抹茶の香り、美しい和装の女性が奏でる
お琴の二重奏の音色が、泊り客を迎えてくれた。

そして最近再び訪れる機会を得たのだが、、、
広々としたロビーと景色は変わらなかった。
けれども、フカフカだった絨毯の毛は寝ていて、
抹茶のいい匂いはしなっかた。
優雅な琴の音色は、中国語の喧騒にとって代わられ、
高級ホテルに相応しかった宿代は、学生でも泊まれる値段に。
手入れはホテルの人たちの頑張りが伺えるが、草臥れていた。
そこはクラッシクホテルの様に手を入れれば入れるほど、
輝くような年代もののホテルではない辛さだ。
ただただ古くなるだけ。

何だか博物館にある恐竜の骨格標本みたいだと思った。
恐竜は大きいから、博物館でも広いホールに展示されている。
そこにはそれを見上げる入場者で賑わっているから、寂しくない。
けど、、大きくて強くて生き生きしてた恐竜じゃない。

時の流れには抗えない。
僕の知っている熱海は僕の中にしかいない。
でも、ニューアカオに泊まった僕は至って満足だった。

時代が変わったって熱海は熱海。
湯煙りは上がっているし、相模湾は変わらず碧い、
疎らになったけど、山裾から海に向かって散らばる夜景も綺麗。
あおきの干物は美味しいまんま。

熱海は長年の連れ合いみたいなもんだ。
歳は取っちゃったけど、笑顔を見れば
そこにはちゃんと若くて可愛かった彼女の面影を見つけられる。
だから未だに熱海に行っては昔の面影を探しては楽しんでいる。

熱海万歳!


画像は創業昭和27年の老舗喫茶店 「BONNET」 の店内。
ここの三島由紀夫も愛したここのハンバーガは美味です!
壁に掛かったMENUのイラストもとっても良い。
ずっと、熱海を見てきたお店です。
昼過ぎには閉めちゃうので早めのご来店を!

BONNET


レイかと思いきや、フィッツジェラルドのバージョンで、、




追伸

何だか思いとは裏腹にアカオの悪口みたいになってしまった。
書いてるうちに79年、アカオに泊まった時のエピソードを思い出した。
ここはロビーに行くためには、ホテル専用のトンネルを通るのだが、
宿泊した翌朝、父が車に乗った際ルーフに財布を置いて、
そのまま車を出してしまった。

程なくして気が付き慌てて引き返した。
焦りの表情が滲む父に母が聞く。
「パパ、幾ら入ってたのヨ???」
父、ボソッと呟く。
「100万」  一同シーン、、、
フロントに駆け込む。
直ぐに気がついたのだろう。
フロントマン、満面の笑みで、「ハイ、お預かりしております」
聞くと出勤してきたホテルの従業員がトンネル内で見つけてくれた。
拾ってくれた人にお礼を差し上げようとしたが、キッチリ固辞された。

最近行った時も従業員さんはとても親切でした。
アカオさん、その節はありがとうございました!
また泊まりに行きます。

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恋は悲しきもの、、、 Why does love got to be so sad ?




はじめに、、

占いによると、自分は年齢や時間感覚の意識がずれてる人らしい。
要するに、いつまでも若いままだと、勘違いを犯しやすい人間だそうだ。
占いの真偽はともかく、思い当たるフシは、、ある。
そんな自分だが遅ればせながら、そんな若くはないかも?と、
思う事が、最近はちょいちょいあったりする。

そう思う事と、このブログを始める関係性がどこにあるのかは
今一つ、自分でも分からない。
でも、ただ何となくだけど、書き忘れた日記を
今さらながら思い出しつつ、綴ってみようかなぁ、、と思った。
自分のための備忘録のようなものだ。

こういう私的なブログは、過疎村になるだろう。
下手すりゃ、書くのも読むのも自分だけ?
という限界集落?になりかねない。
でも、極々少数であっても、
このおっさん、おもろい事書くなぁ~
くらい思ってくれる人がいたら、
やっぱり嬉しい!
では、ボチボチとはじめましょうか。





確か、20歳になったか、ならないかくらいの春、
自分はバリにいた。

80年代終わりには、すでにメジャーリゾート地になっていたが、
それ以前、当時のバリを訪れる日本人は、
遺跡巡りをするマニアな旅行者か、
大戦中、彼の地で戦士された兵隊さんの慰霊団、
遺骨収集する戦没者遺族の人たち。
それと、波を求めて長期滞在するサーファーくらいなものだった。

プラザ合意前だったからドルも300円近くだった。
空港周辺の一部を除けば舗装路もなく、
雨が降ればどこも泥道と化した。
国際電話をかけるにも、郵便局で受付をして
6時間待って、やっと自分の番が来る、、そんな調子だ。
まだそんな時代だった。

けれど、ここはリゾート化を待つ、よくある東南アジアの
ビーチや島とはあきらかに違っていた。
何せマジックの地だ。
感度の良いアンテナを持った連中や、
金と暇を持った世界中の遊び人達は、
その限られた時代にしか味わえない、
甘い蜜を密かに舐めていた。

ある時ロコの悪ガキと話したら、
「 お前残念だったなぁ~ こないだミックがビーチでギグしたぞ! 」
「 その前はスティングだったな 」
えっ、ミックって誰さ?
「 アホかっ!ミックって言ったら、ミック・ジャガーだろ? 」




そんなある日、ビーチのベンチに腰掛けてぼ~っとしてた。
すると、ひとりの老人が隣に座り、
「 あんた、日本人かね? 」 と、尋ねてきた。
聞くと、彼は戦時中インドネシアに駐留していた元兵隊さんで、
戦士した戦友たちの慰霊の旅に来たそうだ。
妻に先立たれ、年金と家賃収入で暮らしていると、
老人は身の上を語った。

まだガキの自分には老人とふたり、
戦争中の話に付き合わされるのは、ちょっと窮屈だった、、
しかし、彼は意外な事を語りだした。

彼には慰霊のほか、もうひとつの目的があった。
インドネシアにいた頃、戦時といえ年がら年中、
ドンパチやっているわけでなく、
この南方の地でノンビリ過ごす時もあったらしい。
そんな忙中閑ありな時、ひとりの地元の少女と出会い、
そして恋に落ちたそうだ。
ここから、彼が語る意外な話に一気に引き込まれていった。

恋に落ちたとはいえ、戦時、若い兵隊である彼が、
現地の少女と大っぴらに逢瀬を重ねるわけにはいかず、
静かに忍ぶ恋だったようだ。

ジュプン ( プルメリア ) の樹の下、互いに知っている
いくつかの言葉だけを頼りに過ごしたこと。
暇を見つけては配給品のお菓子を届けた事。
そして、いつも向日葵の様な笑顔を自分に向けてくれた事。
そんな話を、彼はとつとつと僕に語った。

彼女と過ごしたほんの僅かなひと時は、
彼にとって 「 永遠の煌き 」 だったようだ。
彼が生きてきた時間の長さからしたら、
ジュプンの樹の下で語らった時間は一瞬に等しい、、
けれども、彼にとっては閉じ込められた
永遠の一瞬なのだろう。

だからひとり、少女を探す旅に出た。
行かざろう得なかった、、とも。

で、僕は尋ねた 「 会えましたか?」

「 会えたよ、、、」 「 ずいぶん探したよ 」
聞いてるこっちがドキドキした。

彼は呟いた、、「 忘れてた、憶えてなかった、、、」

さっきまで高かった陽は大きく傾き、
ピンクとオレンジに空を染めていた。
白内障なのか白く濁った右目で、
落ち行く夕陽をぼんやり見てた。
そんな彼の横顔を妙に憶えている。

「 老眼鏡を買ってきたから、それを渡したよ、、、」

今になれば彼の心情も、少しは察しがつく。
けど、、人生のほとんどの時間、
自分の一部だった 「 永遠の一瞬 」 と
別れたばっかりの彼の心情は、、、
この話は、ガキだった自分が、
大人の機微とか内なる心の襞、
そんなものに初めて触れた瞬間に思う。

この事は、何十年経った今でもたまに思い出す。
あのじいちゃんは多分あの世の住人だろうが、
再会出来たら、あの話覚えてるよ、、と伝えたい。
そうそう、自分だけじゃ何だから、ブログにも書いた、ってね。
喜んでくれるかな?




バティックを巻いた少女の写真は
コピーでも印刷物でもなく古い生写真。
ひょんなことから昔手に入れた。

それと記事タイトルの
「 Why does love got to be so sad ? 」 は、
クラプトンとデュアン・オールマンの
デレク&ザドミノスの名曲からとった。
70年頃のライブかな?
これが一番好き!





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